shiriagosan.hatenablog.comしかしまあ暑いこと!
通勤前、自宅のトイレで噴き出す汗にシャツを着替えて苦笑い。
朝から30℃の表示に弱々しく、「・・・でしょうな。」等と呟いておりました。
そうそう東海道五十三次話①の続きでしたな。
総延長500Kmにも及ぶ道程をご先祖様達は12~13日で歩いたようですが、当時の道路事情なんて砂利やぬかるみの凸凹悪路に峠越えあり川渡りありと・・・まさしくアドベンチャーレースそのものですな。しかも奥さん、わらじ履きやで!
因みに飛脚の人達、中でもエリート飛脚はこの約500kmを3日で踏破したというからこれまた驚きですな!
出来ることならナイキの厚底シューズ履かせて仕事させてみたかったですな(笑)。
更に、当時は長距離移動の効率を追求しつつ着物文化とも融合した難波歩きなる歩行スタイルも確立されていたり、時間を知るのにそれこそ腹の虫や猫の目(瞳孔の開き具合)でおおよその判断が出来ていたとか、ご先祖様達の知恵や伝承の技術には驚かされる事ばかりです。
気になる旅費については当時の米の値段から換算して、宿泊食事交通費で給料約1ヶ月分が相場で、お土産に各種お楽しみオプションなんやかんやで倍くらい必要だったとの説明もあります。
お土産の一番人気は薬だったそうですよ、奥さん!
東海道五十三次の浮世絵で有名な安藤広重は東海道を旅していなかった?というショッキングな説もあり、石橋の京都三条大橋が木造で描かれていたり、藤沢の遊行寺でも有るはずのない階段が描かれていたり・・・その根拠となる幾つもの証拠の数々にはかなり説得力を感じますな。
オプションと言えば、飯盛女なるコンパニオンの存在も気になる所ですが・・・
この辺はまあ昔も今も変わりませんな、シャッチョウサーン! デヘヘッ。
因みに弥次喜多さんはホモカップルだったとか、東海道とも縁の深い松尾芭蕉と弟子の河合曾良も何かただならぬ関係だったようですが、そのへんはまあ・・・敢えて触れずに進めますが、
ちゃんと歩ける東海道五十三次(八木 牧夫 著)は、
江戸時代の実際のルートを現代の地図上に忠実に落とし込みつつ、当時を偲ばせる史跡やその土地ならではのエピソードなども紹介していて、オリエンテーリング的な楽しみ方も可能に。
日帰りコースなら、ゆっくり史跡巡りと茶屋ならぬ喫茶店でまったり休憩&食事で
せいぜい歩きは15kmほどでしょうか?
定年後のしりあご爺さんだと体力的には10kmが精一杯か?
トイレも近いやろうし、昼寝の時間もいるやろうでな(笑)。
・・・なんて事を 寝る前にパラパラ眺めてはあれこれ考えております。
それにしてもこの猛暑は別にしても、排気ガスやスギ花粉に黄砂にPM、放射能にコロナ・・・現代の地球環境と比べたらご先祖様達が旅した頃の東海道は空気も水も遥かにきれいで、空の青さなんかも際立っていたんでしょうな。
感傷はいいで、早よ散歩行くぞ!