あらためて東海道五十三次が面白い!・・・①

夏本番!と言いたい所ですが、中華ウイルスが猛威を振るうなか、個人的にはあろうことか足の指を痛めて家でおとなしくしております。

そうでなくてもこの猛暑!何となくの夏バテにオリンピック疲れ(笑)もあって・・・

あっ、いやどうしても一生懸命闘っている選手たちを見ていると感情移入というのか?ついのめり込むというのか?柔道やソフトボールにサッカー、そうそう男女ペアの卓球なんかも最後の方はもうハラハラして見とられんかったですもんね(笑)。

何か見ているだけで疲労困憊する感じ、あんたもそうでないの?

こんな時は気分を変えてクーラーの効いた部屋で寝転がって、図書館で借りてきた本なんかパラパラ捲っているのが良いですな!

硬すぎて歯が欠けそうなあずきバーなんか齧りながら(笑)。

で、今読んでいたのは・・・

東海道五十三次が超面白くなる本(街道の旅を楽しむ会 編)

②ちゃんと歩ける東海道五十三次(八木牧夫著)

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東海道とはご存じ江戸の日本橋から京都の三条大橋まで実に500kmにも及ぶ、今でいう国道にあたる五街道の一つですが、

思い起こせば中学の頃だったか?

夏休みの宿題で十返舎一句の東海道中膝栗毛(現代語訳)の感想文を書かねばならず、例のごとくロクに読みもせずに、見出しや巻末の解説の部分から文章を拾っては繋ぎ合せてそれらしく纏めるという芸当をやっておりました。

が、解説中の弥次喜多さんのドタバタぶりが可笑しくて、結局全部読んでしまった(笑)という本末転倒もありつつ、何となく将来定年退職したら弥次喜多さん達が歩いた東海道を辿る様な旅が出来たら楽しそうだな~などと当時のしりあご少年は思ったものです。

そんなおぼろげな記憶もあってか?

誘われるように思わず手にした東海道五十三次の解説本ですが、近年の研究や新たな文献の発見などから、おぼろげだった当時の様子が鮮明に浮き彫りになりつつあるようで、

まあ・・・小難しいことは置いといて(笑)、江戸時代のご先祖様達の旅がどの様なものだったのか?

ちょっと覗いてみたくなりませんか?ねえ奥さん。

江戸時代の後期には当時の人口の約二割が伊勢神宮への御蔭参りに参加したといわれるほどのちょっとした旅行ブームもあって、今以上に旅行が盛んだった事が知られています。

しかし、そもそも何の為にこの様な片道十数日もかけた壮大な旅をしていたのか?というのが気になりますね。

当時の人達の主な目的は、神社仏閣の参詣ついでの物見遊山との事ですが、文献などの資料から毎日40kmの道のりを12~13日かけて踏破していたようですな。

当時の道路事情や履物(草鞋)も考慮すると、現代人よりも遥かにタフで歩く事にも長けていた事が分かります。

江戸時代の我々のご先祖様の実力や生活の一端が垣間見えてきた所で、

長くなりそうなので続きはまた次回に(笑)。

 

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    お前・・・何か悪怖そうな影になっとるで。

  

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