えっ、天麩羅で死んだのは家康の影武者だったの?

今年のアレは・・・ ええ、もういきなりでしたよ!

犬の散歩から戻った途端、立て続けのクシャミと吹き出す鼻水に瞬殺白旗戦意喪失からの玄関腰砕けヘナヘナ人魚座り状態で喘いでおりました。

こんな日は・・・ 家に籠って撮り溜めビデオの視聴三昧コースやな(笑)。

朝のニュースで日本の調査チームがエジプトのピラミッド内部に未調査の空間を確認!なんてトピックスを報じていましたが、

国内でも常識を覆す驚きの新説や古文書の発見などが相次いでいて、にわか歴史ファン(私の事ですな)には何とも堪りませんな。

撮り溜め録画の中にも本能寺の変を検証する番組があって、首謀者?の光秀についても濡れ衣説や意外な黒幕の陰謀説、更には数日後に殺害されたとする経緯も細かく辿っていくと謎や疑問だらけなんですな。

秀吉を初め関連する要人の行動も時間的な検証だけでも多くの矛盾があるにも拘らず、これまでの通説が頑なに支持されている事にも・・・解明どころか却ってモヤモヤするという内容に。

こうなると、何とか生き延びた?光秀が僧侶(天海だったか?)に姿を変え、その後の家康の執政を支えた!なんて新説にも、

まあ・・・それも有りちゃう?なんて思えてきますな(笑)。

それくらい個人的にも本能寺の変はやっぱり変だ!と言う結論ですな。

まあ・・・歴史物にはとんでもない伝説伝承も多いでな。

私の知る限り義経=成吉思汗(ジンギスカン説などはその筆頭で、恐らく本人が一番驚いているのでは?

一昔前に多かった霊能者とか透視が出来る?方々の特殊能力を結集してこの辺の歴史絡みのモヤモヤ感は何とかならんのでしょうか?

でね奥さん、何かと話題の家康公についても新情報が!

天麩羅の食当たりで亡くなった元和2年から遡る事1年前・・・

大阪夏の陣での敗走中に真田軍の後藤又兵衛基次に駕篭の外から薙刀で刺され、それが致命傷で死亡した?とする幾つもの証言が紹介されてましたな。

後藤家に代々語り継がれる伝承と共に、実際に刺したと伝えられる薙刀も紹介されてましたが・・・

更には日光東照宮に現存する家康公の網代駕篭にも屋根部分にそれらしき刺し穴?が残っているそうですな。

う~む・・・

ではその亡骸は?

何と、徳川家とは縁の無い阪堺市の南宗寺の墓に祀られているそうな。

元和9年(1623年)には秀忠が、その約1か月後にも新将軍になったばかりの家光が相次いでこの地を訪れている事実!との整合性も。

う~む・・・

それらの状況から、その後天麩羅を食べ過ぎて?亡くなったとされる約一年間家康の影武者が存在した!という驚きの仮説が事実であれば、天麩羅で死んだのは影武者だった!という事になりますが。

当時は武田信玄が三年間影武者を立ててその死を秘したという前例(実際はバレバレだった?)もあり、パクリ?あっいや戦略的には有りかなとも思えてきますな。

この戦国時代ってやつは・・・

多くの学説や伝承が喧々諤々議論の末に収斂されるどころか様々に独り歩きしている感は否めませんな(笑)。

とすると、

近年の研究から聖徳太子もその功績や存在自体が議論されていたり、幕末のヒーロー坂本龍馬も中央の政治に関わりが少ないとの理由で教科書から除外されたり、縄文時代のご先祖様の暮らしぶりなんかもこれまでのイメージよりかなり高度な生活様式に上方修正されている事を考えると・・・

10年後くらいの歴史の教科書なんてどんな内容になっているんでしょうな?

 

 それより・・・10年後も生きとるんやろか?